前回の記事では、出生から
私の少し孤独な生い立ちのお話を致しました。
今日は、私の学生時代のお話をさせて頂きたいと思います。
小学校に入ると、私は、次第に、友人から「おもしろい子」と
言われることが多くなりました。
その理由は、とにかく人を笑わせることが好きで
テレビに出ている芸人のものまねをしたり、話術で人を笑わせたり
また、皆が笑ってしまうようなイラストを数多く描いていました。
そんな私の周りには沢山の友人が集まってきました。
勉強ができる子供ではありませんでしたが、活発で運動神経抜群
正義感が強く、おもしろいということで
学校で、有名人になるのに時間はかかりませんでした。
人を笑わせるという特技は、もしかすると
毎日、お風呂で母の話し相手をしていたことから
身についたものかもしれません。
どんなに深刻なときも、笑いが人を幸せにする。
リアルな現実が辛ければ辛いほど、ユーモアを探して
笑いに変えることが大切だと漠然と確信を持っていました。
高校は女子高だったこともあり、私の中では、お笑い全盛期となりました。
笑わない友達がいると、なんとか笑わそうと、おもしろい話や行動をして
笑わせていました。とにかく人を笑わせるのが楽しくて。
当時は、複雑な家庭環境の子も沢山いましたが
お笑いは、人を助けることが出来るんですよね。
お腹を抱えて笑っていると、その時間だけは辛いことも忘れて
自分だけの時間になるんです。
17歳の頃には、おすぎとピーコが流行っていましたので
同じクラスの友人と、コンビを組んで、「おすぎです」「ピーコです」と
名乗って、ネタを披露していました。
友人からは、そんなに面白いなら、芸人になったらいいんじゃない?
と言われていました。人を笑わせていると、自分も幸せになるんですよね。
心の底から笑うことって、本当にとても大切です。
深刻な時こそ、ユーモアの精神を忘れないことで
必ず、好転していくと思っています。
私のユーモアのセンスは、今でも、シビアな場面でこそ
フルに発揮されています。